歴史のまち、草津
(スケッチ)
神社・仏閣めぐり

<3>

D草津八幡宮
(くさつはちまんぐう)

当地の氏神様で、推古天皇
(西暦625年)の頃は現在の下は海浜で、
そこに多紀理姫乃命を祀ったのが
創祀といわれている。

12世紀に八幡神が合祀され現在に至っているが、
秋の祭りに繰り出す三台の神輿による
「けんか祭」は大変荒く、威勢がよく
有名で神社の180段の石段を登るのは
きついが、草津の町や安芸の小富士、
厳島を一望することが出来る。

 

E正信山、浄教寺
(しょうしんざん、じょうきょうじ)

浄教寺の前進は観音寺といわれ、
明応元年(西暦1491年)
頃正信谷(草津と井ノ口の境)に鈴が峯観音寺
として開山されたといわれている。

明応元年(西暦1491年)正信坊によって
現在地に移転し、浄教寺と改名した。

初めは禅宗で後に浄土真宗に改宗する。
境内の黒松(臥龍松)の太い三つの枝が
約20メートルも伸びていて、龍がうねっている
様に見える。

 

F故選山,教専寺
(こせんざん,きょうせんじ)

草津に住していた那須七郎の曾孫が
石山本願寺に参詣し、顕如上人の
教えを受け、武をすて僧となり、
住居を寺としたのが、この寺の始まりで
永禄4年(西暦1561年)僧の名を
宗怨法師という。元和9年(西暦16
23年)に西楽寺、浄教寺とともに
三人の僧が上山し、正式に本願寺
から寺号を授かり、木佛をうける。

第六世の理円は、学僧として有名で
ある。理円の師の知空能化の像が
本堂内陣余間に安置されている。

 

G一畑薬師如来
(いちはたやくしにょらい)

幸福稲荷の世話係の好意に依り、
幸福稲荷の裏方にお堂を移し
今でも眼病にご利益がある
「薬師さん」として、遠近より訪れる
信者の焚く香の絶え間がない。

 

 

 

 マップへ   前のページへ   次のページへ